2015-02-01から1ヶ月間の記事一覧

思考形態に沿った文体を模索した方がよい? 或いは―――文体を模索することによって思考形態を規定した方がよい、のかも? いずれにせよ目標が定まらないのが問題なのだけれども。

無意味さを体現することには相当の困難がある、ということを意識する。 意味に回収されてしまう。放っておいても、望まなくとも。

ゲームは面白くないといけない。つまりはそういうことで、正しさ、というのは前提であり、目的なんかではない。 目的たりえない、と言った方が正確か。

意味伝達のみが物語の機能ではない。何度目かの気付き。 本当を探すということ。

天才ってものはいるもんだなあ、敵わねえや、と言って許されるのは死ぬまで追い縋り続けた奴だけである。純粋に自戒だけど(他人のATTITUDEなど本気でどうでもよい)。 追うことを諦めるのなら純粋な傍観者になること。同じ土俵の上から発言しないこと。舞台…

回収されないこと。結局はその一点に尽きる。

Disarmonia Mundiばかり聴いている。

あたまがどんどんわるくなる、ので勉強したり思索したりする。しなければならない。

アレな感じのソレ。 だいぶ道路が露出するようになってきた。もう寒波は来ないのかな〜〜〜???(フラグ)

問題は適切なフレームが齎されているかどうか、だろう。ということになった。 ので、自分をサンプルとしてしばらく試験を行ってみたい。どうなるものやら。

1000時間メソッドをアレする。 定期的に成果物をアウトプットしていくのがミソかなあ。

技術で何とかなる問題はさっさと何とかしてしまって、センスの問題で戦えるようにしたい。 手が届かないからと毎度のように脚立を運んでくるのは端的に阿呆くさいので。そこはやはり二段ジャンプを習得したい。

天気がサイアクだったので特に外出せず。家が軋んどる。

月の向こうに太陽を。 潮汐について調べていた。すこし良い案が浮かぶも、完成には至らず。

感情は身体に属する。言われてみればそりゃそうだ。 小さなグリッチにこそハックの糸口はあって、そこから全ては始まる。基本中の基本だけど。

だいたい文化人類学と脳科学と論理学の範疇で戦いたいかなーという感じに。 無為に負ける戦はしたくないので、完全確実に正しい範囲を知っておきたい。負けてもいいから踏み込む、という動きを可能ならしめるために、負けない範囲を知っておく必要がある。

問題は欺瞞の精度ということになる。

なんか頻繁にはてな不安定になってるような……? やっと身体を意識的に動かすコツを掴む。このまま意識の枠組みを意識的に動かすコツまで掴みたい。

クリープを入れた紅茶は午後ティーよりもうまい。 午後ティーは地形効果でブーストしないと若干つらいところがあるからな……。

帰納よりも類推というかなんというか。

結局のところ所与性とか担保できるわけもないし、Attractiveでなくなった時点で大抵の論はゴミになってしまう。 怜悧な把握に意味がない場合はなおさら。じゃあどうするか、というところから始めねばならない。

やはり論理の自壊を指摘する話法全般に無理がある、精確に言えばそういう話法を行使する人間がそれに必要な精度を備えていたためしがない、という話になってくるのかなあ。 必要なのはソクラテスではない。

いもはうまい。

何の前触れもなく消化器官が破滅する事案。だいたい寒さが悪い。

緻密な論理的建造物を構成するために、まずは間違いだらけでも外枠を作ってしまった方がいい、のかもしれない。 積み上げるよりは削る方が得意っぽいしなー。

拷鉄

豪雪。勘弁してほしい。