でまあ、話は変わって。

 寝取られに対する姿勢として、「寝取られたという事実に萌える」「寝取られる過程に萌える」という二つが考えられるのでは、などと考えていました。
 後者はむしろ「ある種の萌える過程を寝取られと称する」とでも換言しといた方が分かり良いかも知れません。前者が恋人や配偶者を他人に奪われるということのみを萌えの対象にしているのに対し、後者はまず萌える奪われ方というのが各人の中にあり、それに沿ったものを寝取られと呼び萌えているのでは、という。端的に、後者の方が認定の閾値が高いと言ってしまってもいいでしょうかね。
 何が言いたいかというと、快楽堕ちって個人的には寝取られと認識してねーからつれーわー! そういうのが寝取られ文脈で語られてるの見るとつれーわー! って話です。いえ、それだけです。マジで。
 絶望感、罪悪感、その他もろもろの負の想念を快楽で一時的に忘れさせられ、しかし事後には正気に戻る。正気と狂気の狭間を強制的に往復させられる、そんな寝取られがとてもえろくて好きだなあと思うのです。
 (ただ、寝取られじゃないけどとても良いと思う「一般的に寝取られ作家とされる」人も当然います。武田弘光さんとか。氏の作品は僕の好む寝取られの定義からは大きく逸脱しているけれど、そんなこととは関係なく超えろくて素敵だと思いますし)
 
 私信 :MC方面はあんまり知らないので宝の山です。ありがてぇ! ありがてぇぇ!(読んでるかわからんですけども)
 私信2:山田耕筰って『赤とんぼ』作曲した方なんですね。ヒトカラで入れて知りました。