タイガーマスクの件について「祭の様相を呈してきている」という指摘があったことはTLで書きましたが、ある種の慈善事業が流行を煽るカタチで為されることをここで思い出して欲しいと思います。僕はそういうの疎いので個別には全然知らないんですが(調べないのは怠慢ですね)、「これを買ったら寄付になるよ」というグッズを用意し、「これを買うのがトレンド! しかも善行だよ!」と隠しもせずアピールしてた流れってのは普通に過去何度もあったものと思います。そこにはともすれば欺瞞や虚栄心も多分に含まれ、人によっては寄付という行為に思うところすら無いかもしれません。でも、それで良いんだと思います。結果こそが全てであり、そもそも僕らには他者の善意なんてものを量る手段がない、ということを想起するべきです。たぶん。
 (更に言ってしまうと、「正しい、完全無欠の」善意から為されたものでなければ寄付とは呼べない……と寄付する側の人間が言うのは正直言って反吐が出るほど傲慢なことと感じます。弱者は正しく救われるべきだ、と言いながら「(彼らが言うところの)正しくない救いの手」を運動から排除しようというその構図。ちなみにこの括弧内はたぶんシャドーボクシングです。というか、そうであって欲しい)
 
 私信。
 正直、あんまり某氏に対してのレスポンスという形ではなく、むしろ身近なひとがリア充になりたいと連呼してて煩かったので書いたアレだったりします。僕の周囲では今のところ「リア充世界に適応する素質を持った者しかその願望を持たない」というのが完璧に正しいんですが、よく考えると僕がリア充に夢を抱いたり責任/願望の転嫁先として都合よく使う人間を嫌って話しかけてないだけの気がしてきました。たぶんこの線は正しいです。残念なことに(僕の脳が、ですね)。そういう意味で、かなり詰めの甘い書き方でした。
 あと、「リア充に憧れている」というのが具体的にどの程度の願望を表しているのか、ってのを明示すべきだったなーと。隙あらば実際にリア充になってそのまま過ごしたいと思ってる人と、もしもボックス的に向こうの世界を覗きたい人とは、たぶん同じ対象として取るべきではないような気がしてます。
 *なんかもう言い訳に終始してしまって申し訳ないんですが、遠慮せずどしどし突っ込んでください。