言葉のニュアンスというのは多分に文化や文脈に左右されるものだよなあ、というようなことを考えたりしてました。ヒトや場所など、その言葉が使われる「場」の要素や、もちろんその言語が使われたタイミング。そして積み重ねられてきた用例。そういった要素が複雑に絡み合い、結果として僕らの脳内にその単語と直結したある種のイメージが想起されるに至るのだろうな、と。
 
 具体的には「躰」という漢字の話。もはや漢字一文字でエロい。これはもはや事件レベルのいやらしさだと思うんですよ。なんなのこれ。