おいしいおやつを探したり、使い勝手の良い道具を品定めしたり。そういう動作をやめたらさっくり自殺できそうな気すらする。
 「暇つぶしで生きてる」ってのは中二病でも悲観主義でもなく、絶対のラインだと思っている。どんな教義にも、心酔できるだけのひたむきさ/或いは斜に構えた上で受け入れられる恣意性と強靭さが求められる訳で。どちらも出来ない、ただ疑うだけの人間は、誰かの創ってくれた車輪を利用すること叶わず、一生かけて車輪を作る作業に従事するか、車なんかいらねーと放棄するかせねばならないのだろう。
 
 ……「という教義」がそこに在るのさ、と言えてしまうからメタな文脈ってのは恐ろしい物なのだけれど。結局アレだニャー、人間が人間に言及するなんて無理だってことだニャー。