「分類」ってのはどこまでも動物的な行いですよねー、というのはつまり、ある閾値を恣意的に設け、それを満たすものを同一視する―――という冷静に考えるとよくわからん動作を自然なものとして僕らは認識できますよね、という話で。ヒトが世界をうまく把握するための、欺瞞を含んだ知的詐術……とか言い始めると言葉遊びが過ぎる気もしないではないですが(僕はいっつもそんなんですね)。そんな感じ。
 神は分類を必要としないんじゃないでしょうかね。削ぎ落とされるもののない、完全な知覚を持つというのならば。塵埃のその一粒子まで、固有のものとして視えるのでしょう。