多寡の差はあれ、誰にでも備わっているであろう克己心や向上心。それら自体は何ら特別なものではないのだけれど、その水準が並の人間よりも高くなると、れっきとした長所となる。そしておそらく、誰もが少なからず持っているものだからこそ、秀でた者がより眩しく見えるのではないか、とも思う。
 そして、更にそれらの心的傾向が極まっている場合、それはもう狂気に近い物として認識されうるのでは、と感じる。その狂気もまた、それらの感情が一般的に誰にも備わっているものであるからこそ、その度合いを増して観る者の目に映るのではないか。
 凡庸な一念を通すことは最も身近に感じられ、ただし実際には殆ど目にすることのできない狂気の発露の方法なのでは、と。