なんだか攻撃的な文章を適当に書いていたのだけど、意思の篭らない殺意は空転するばかりで攻撃力を宿さないからゴミですね。シャドーかリアルかが問題なのではなく、敵と見なした概念への真っ直ぐな害意が込められていないと有意な攻撃にはなりません。そんな鈍らでは自分すらも刺せませんので、まあゴミとしか言いようがないです。
 感覚として、愛情が鈍麻しうるように、殺意も同用に鈍っていくようです。在りし日の黒い感情を想起して追想するように意思を込めても、心の底からどうでもいいと見下げ果てた対象には実感の篭った刃が突き刺せません。ただ形をなぞるだけの空疎な儀式に堕してしまいます。ああ嫌だ。
 殺すべき対象を許してしまうことの罪深さというか鈍さというか。どうにも最近、悪い意味で生きやすいです。うわあ中二病っぽい言い回しですね(事前自虐)。