瓶詰めの手紙を海に向かってブン投げるがごとき創作を旨としたい(書き出しから胡乱さを全開にすることで読み手の正常な判断力を奪い、電撃作戦のごとく詭弁を押し通す高度なレトリック……括弧内が長すぎて効力を完全に失っている! ウカツ!)。
 書き手が関知できるのはテクストを記述するまでであって、そこから先は全てテクストと読み手との関係性のみが問題となる、という問題。……記述行為の最中、既にして書き手が様々なメタレベルにおいてテクストと向かい合う読者と化しているのでは、という指摘についてはとりあえず措くとして。読まれたものが全てであるとしても、いや、だからこそ、より誠実で精確な記述を為そうという気分になってくる。全力で書いたものなればこそ、後は知らん、勝手に読め、と突き放せるというものだろう。そういう風に書きたいな、と思った。