―――意識的な努力によって維持されるネタに満ちた空間に憧憬の念を抱くのには、全てを―――少なくとも同席した全ての人間を、零さず掬い取るような場の可能性が内包されているからなのではないかしら。……のっけから胡乱。
 アプローチとして、断絶を最小化していく方向性には割とかなり絶望しか見えなくなっています。もちろんそれは僕の人間性能が極端に低いから、なのですが(或いは、超人のみの場においては実現可能だと思います(ここでいう『超人』は僕用語です))。可能性が残されているのかもなあ、と思うのは、何も共有できない、という認識を徹底したその先に待つ楽土。相互理解の限界に絶望するのではなく、干渉に付き纏う暴力性に自己嫌悪するでもなく、ひたすらに断絶を愛でて会話できないという幸福に浸れる世界が訪れれば、それは福音ではないでしょうか、とか。人間と人間の距離を引き離さないことには何も始まらない気はしますが。