チュートリアルは没入感を削ぎうる。弱い言い方を敢えて選んだけどそこに意味はあんまりなくて、実際のところ、導入にあたっての説明は世界への没入感―――最大効率で得られた場合の―――を幾許か減じるように思う。つまりは適切な量の情報のみで世界に溶け込めた場合に比べて、といった。
 身も蓋もなく導入部の通過儀礼として実装することもできるし、物語の中にチュートリアルを組み込むこともできる。前者も後者も飽きるほど例を挙げられるだろう。完全に無知なまま叩き込まれる、というのはある種の洋ゲーの作法なのかなあと想像するものの経験がないので何とも言えない。
 結論だけ書くと、最適解を導き出すための論理が見たい。最適解そのものを体験したい訳ではなく。