欲望の反対側に無垢で望ましい自分といった自己像を置くと殊更邪悪な構図が完成するんじゃないかと思うわけです。思うだけです。
 衝動の反対側には理知があると信仰するようなもので。或いは懐疑をやめない愚直さをこそ知性と呼ぶのではないかしら、とかそういう。