周囲の人間が全員機械だったりスクリプトだったりするのでは、という懐疑を抱くのであれば、そのように考える自分もまた自動的なものに過ぎない/自動的ではありえないという自意識を植え付けられた装置に過ぎないのかもしれない、と想像することもまあ可能ではあって。だからどうという話でもないんだが。
 言葉遊びにしか過ぎないとするなら、遊びを楽しくするような/或いは競技化するようなルールを見出さねばならない。―――では、どこに? と問うところから、糞虫の戦いは始まる。