思った瞬間に書かないと忘れるので書く(戒め)。
 
Angel Beats! 3話まで
 画面がすごく綺麗で、見てるだけで割と幸せ。ただ、綺麗すぎるせいでギャグがギャグに見えない、という印象もあり。ギャグシーンで容赦なく死ぬことと併せて、なんとも言えない気持ち悪さを覚える。そう感じることにあまり問題は見出だせない(何なら、気持ち良い、とも言える)ので、単にそう感じたということだけ記録しておく。
 生前の過酷の告白。どちらも、割と洒落にならない悪意に彩られたエピソード。理不尽、って言葉が重要なのかな。正しく生きていれば報われる、という発想からは最も遠い地点。唐突な喪失、何のせいでもない挫折。どう振る舞っていようが避け得ない終焉。その理不尽さが神の存在を、神への敵意を保証する。
 ところでこの設定、人間がどのように在りたいと考え、どのように在るか、という様子を描くには打って付けの世界が整えられていて。人間が在り方を気にするのはいつだろう?→死ぬ時じゃね、というのも踏まえて、キャラクタが本当にキャラクタとして生きるための舞台が顕現している、という。人間らしさ、という縛鎖によって堕落することなく、人間を描かない、キャラクタをしか描かない、楽土。―――の、前提までは成立してる。
 *上記全部的外れで膝から崩れ落ちたい、という感じではある(麻枝准に置き去りにされたい人間として)。
 
閃乱カグラ 1話
 おっぱいが揺れたり弾んだり押し潰されたり上腕の動きに追随して変形したりする。どんなカットでもだ。善き哉。
 街中で爆薬とか使ってええねんか……→やっぱり駄目じゃないか! とか、人払いが割と人力なんだなー→結界とかあるじゃないですか! とか、いちいち世界のルールが覆されるせいで超楽しい。作品世界中の論理に合わせて撓められるべきは僕の認識なのでぐにょんぐにょん歪んでいきたい。そう、描かれたおっぱいのように。うまくない。
 多方面に超上手いので如何様にでも称揚できると思います、といった印象。そういう意味で安心しておっぱいおっぱい言えそうな予感はある。実はおっぱいよりも膝裏の描写にウッヒョーとなっていた。何が実はだ。
 
 おまけ。ゆるゆりの赤座あかりちゃん人間じゃないよねという話。某氏発案。
 そう言われて観てみると、誰の視線もない所でさえ赤座あかりは赤座あかりである、という恐ろしい事実に気付く。るんるんスキップしながら歩くのも、状況説明調で独り言を繰り返すのも、そこに他人の目線を全く必要としていない。こわい。
 存在の強度が全く違う者をいじめることは可能か、という問いがあって。あかりちゃんは一人だけ阻害されているんじゃなくて、あかりちゃんが他全員を阻害しているのではないか、とか書いてて何が言いたいのかよくわかんなくなった。本来ここはそういう感じでよくわかんないことを書く場所なのでよくわかんないことを書いておきます。てへへ。