物語を解体すると、骨組みしか残らない。奥行きを持って見えた色彩も、把握し切れないと思わせるほどの複雑さも、バラし切ってしまえば要素の集合に過ぎない。
 そこには何もない。ただ、そこに何もないことと、そこに何もなかったことを直結させるのは、端的に誤りだ。殺した小鳥を元通りに繋ぎ合わせても、再び羽ばたくことはない。物語の残骸から失われるもの、外からは見えず、腑分けした時点で霧散するもの。感慨の影に茫洋と存在する、それこそが物語の生きた証であり、本質だ。