海の上に広がる入道雲が綺麗で、気温さえ度外視すれば非常に純度の高い夏の情景だった。
 変化に乏しいロードサイドの風景が長く途切れるたびに段壁の向こうに海が見えるのは認知を弄られる快感に富んだ視覚体験ではある。僕にとって北海道の海は(ハレの場所としての)海に向かうのに消費した実時間とランドスケープとしての/物理的な海を取り巻く周辺の情報との両方に支えられて成立するものであって、それらが影も形もない状況で海が出現することには僕自身驚くほどの違和感が付き纏う、ということ。
 って適当に書いてはみたけど条件はもうちょっと複雑な筈で、これだけだと生まれ故郷の海にはその種の驚きを覚えない理由が説明できない。覚えてたらいつか続きを考えるかな。