正しいことを言えば正しい議論が展開する/しなければおかしい、という神話は大抵有害で、まずは相手との間に感情が疎通するようなパスを繋げなければ始まらない。ということを議論が始まるたび忘れる(そして終わった後で後悔する)。
 保坂和志が小説を読むことに関して「真に受ける」という言葉を遣っていて、それはやっぱりとても好ましい態度だと思う。不断の自己解体をこそ志向すべきだと思うし、そこでは自分の好みなどというものは塵埃に等しくあるべきだ。記述できない命題にこそ価値を見出したい。要約できないものに世界を観たい。