世界に満ち満ちる愚かしさに絶望した人のとる戦術が、しかしひたすら遺憾の意を表明したり類感呪術めいた偽の論理の自壊を狙ったり動員ゲームの果てのジャッジキルを目標としたりといった俗世の悪い部分だけを煮詰めたようなそれであったりすることは本当に悲しいことで、世界を覆すには正しさの認定を巡るルールを書き換えるための政治的な働きかけを行うか或いは物理暴力に訴えて敵対者をころすしかないと思うんだけど、年を経るごとに後者しかねえなという気持ちが強まってゆく。
 走れるうちはどこまでだって逃げていきなさい、と声を掛ける相手もいないけど、しかし、私はもういいと潔く退場する勇気もない。そんな時には禅問答だ。