Charlotte麻枝准による奇跡の否定ってテーマで始まったけど結局妹をアレしたので日和ってる、みたいなアングルを見かけたので適当に書くと、たぶんCharlotteで前提されてる世界観ってそういう図式的な把握が無効化されるくらいには身も蓋もなく「リアル」なんじゃないだろうか、というのがあって。登場人物の近視眼的な愚かしさ、恣意的に運用される矜持や倫理、そういったものは僕たちがふだんの人生で行使するものと寸分違わず同じで、だからこの物語は外側から眺めても歪なものにしか見えない。物語の造りをしていないから。何かを観たいのであれば、内側から、それもある程度の歪みや正しくなさを前提した視点を借りた時、初めてそこには感情移入の余地が生まれてくる……みたいな感じなんじゃないかなあ。僕も再視聴せねばな。
 実際のところ、仮に/万が一にも上記のような解釈が正当であったとして、べつにそれはCharlotteという作品のよさ/面白さを支持する事実には必ずしもなり得ない、ということは自分で付言しておきたいけれども。内在的に肯定できれば良作だ、というのはさすがに無敵すぎるので。自戒として。或いは断絶を見込んで。