保坂和志の本を読んでいたら、たとえば小説で永劫回帰を描くというのは小説を通して「もしかしてこの世は時間の牢獄みたいなものなのではないか」という思索に読者を導くことであり、定期的に同じことを書くことで批評家に「この繰り返しは永劫回帰を象徴している」と語らせるような(外部からメタレベルを導入しないとならないような)ことではない、みたいなことが書かれていて、書くにせよ読むにせよ僕が採りたいと思っている立場ってそういうものだよなあと思った。思うだけなら自由だ。
 社会人研修みたいなのは新たな技術や概念を学んでいる時だけ面白く、他の受講者を視界に入れるとたちまち圧倒的につらくなる。だいたい自動車教習所を想像して貰えれば大筋で間違っていないと思う。可能な限り要求される知性を低く保たれた場では、高等な知識/技能とこの自分が出会う瞬間だけ価値が生まれる。