「ガルパンはいいぞ」とだけ発言することによって成立するのは軋轢を徹底的に排除した/ガルパンに好意的であるというただその一点をもって連帯できるような集団意識の形成であって、その是非はともかくとしてその種の行いに対しては強く拒否感があるのでまあ拒否していきたいんだけど、重要なポイントとして、その軋轢のなさ/衝突の起こり得なさを下支えしているのは構造に支えられた断絶であるということは指摘できて、その一点に関してのみ強く興味を惹かれる。とはいえやっぱりああいう動きに与する気にはなれなくて、問題は断絶していこうという気持ちを意識的に運用した上で他人と語り合うことはできるのか、みたいな技術の話になってくるのだけれど。