理性で押しとどめないと無意味なワードサラダが無限に製造されるというの身に覚えがあり、論理的思考や筋道立った発話というものが可能か否かという問いを発すべき地点の遥か後方で頭がおかしくなっていた時分にひたすら無軌道な思考/発話を抑制させられないかと努力したのが中学時代のことで、そうやって無意味な発話を自らに禁じた結果としてコミュニケーションが不可能となり、そらから10年近くが経過してやっと人間は大抵意味ある発話とかできていないし皆コミュ障だとしか思えないのではということに気付き安心して低質な発話を行えるようになったわけだが、当然これは退嬰であり、喋れない人のほうが圧倒的に正しいのだから喋っちゃだめでしょと適当に言いたくもなるのだが、今つらい人に君のつらさは価値のあるものなのだからつらいままでいてよねと声を掛けるのは流石に畜生の行いだと思うのであまり言えない。