不良は実は心が綺麗、優等生は実は心が汚い、という描写について。
 
 僕はこういった描写がとても嫌いです。
 不良を価値あるものとして描きたいなら、不良にしかない輝くものを見出して描けばいい。
 価値観をそのまま据え置いて「実は不良の方が良識を持ってた」だなんて、臍で茶が沸きます。
 こういう描写の方法を採用した時点で、不良は普通に良識を持って生活する優等生には絶対に敵わない、優等生の側を邪悪なものとして貶めないと比較すらできない、と作者自身が主張してるも同じではないでしょうか。
 一般的に価値が劣るとみなされている何者かをそうでない者と比較するとき、大事なのは価値を見いだせるような価値基準を考えることであり、価値を捏造することではないと思うのです。視点の再発見といいますか。
 
 細かく追求すると「勉強しない者の無垢さ(=勉強は人を汚くする、という考え)」という要素を感じ取れてうげーってなるというのもあるんですが、これはたぶん一般化できるほど普遍的な要素じゃないような気がします。
 肝はやっぱり、価値観の転倒かなーと。