「君って承認欲求に溢れてるよね!」って指摘されて嬉しい人はそんなにいないんじゃないかと思います。
 批評の文脈で使われているうちに、字面通りの「承認されたいという(自然な)欲求」という意味だけではなく、「実力の伴わない状態で賞賛だけ受けたい」という欲望を意味するような言葉にされてる場面もたまに見かけたりするので、まあ強力なdisワードですよね。
 更に言えばそういう拡張された用法でない時(字義通りの時)でさえも批判の的にされたりしてますが、個人的にはそういうのはあまり肯定したくないです。解脱しろというのかね、みたいな思いが鎌首をもたげます。多分に程度の問題ではあるのでしょうけど、そこはそれ、デジタルネイティブ世代なもんで極論好きなんですよねあはは。
 
 で、今日ちょっと考えてたのは、ある作品に対して「オタの承認欲求を喚起/充足せしめる」と指摘することが果たしてdisたりうるのか……ということです。
 当然、作品にそういう要素を見出す(「発見」する、とでも書いた方が喧嘩売れていいかも)ことが本当に正当なのかって疑問が先に立つんですが、とりあえずこの場では不問とします。対象が「そういう作品」だ、という前提を置かせてもらいますね。
 
 そういう場合/作品について。
 
 先に結論を言ってしまえば、娯楽作品がその消費者の生き様や欲望を肯定するのって、ごくごく普通なことじゃないかと思うのですよ。
 もちろんその構図に嫌らしさを感じる心性もまた普通なものと思いますが、ここで僕が不思議だなあと思うのは、そういう要素を「批判」する批評を割とよくみる……ような気がすることでして(印象論)。なんか知らんけど、そういうのは作品として駄目らしいんですね。
 嫌悪感を表明するのではなく、所与の「許されざる」要素として扱っているように見える論について、僕はどうしても首を傾げたくなります。一番上に書いたように確かにパッと聞いて負のイメージを抱かされる概念ではありますけど、でも否定する論理/倫理ってのがあるかというと、難しい。これが対人の話であれば一方的な承認欲求がコミュニケーションを阻害してなんたら〜とか言えるんですが、ここでの相手は作品ですし。
 少なくとも、承認欲求が感じられるから駄目だ! ってのは流石に無いんじゃないかなーと思うんです。「もっと巧妙に脱臭しろ」とか、「そういう要素を見せるな、醒めるから。隠してくれ」というのならわかるのですけれど。
 
 ストイックであろうとするがゆえの主張ならいいんですけど、仮に「ストイックであると見られたい」がゆえにそういう作品を貶してる人がいるとしたら、僕は「君の承認欲求、バッチリぱんぴーの方を向いてるね!」って言ってあげたい。
 藁人形ですよね。信じてます。
 
*追記
 誤字修正がてら。リンク貼ってもいいよって人がもしいらっしゃったら言ってくだされば光の速さで反応します。うそです。 *うそというのは光速の話のことです

*追記2
 >緑なんていなかった。
 言うてはならぬことを!