メロスピを聴くのが辛くなるのと同期して古いロックが好きになったり、勧善懲悪って概念すらブッちぎった俺TueeeeeeeeなSSを読むのが億劫になるにつれて丁寧な文章で優しく書かれた雰囲気SSを好むようになったり。そういう嗜好の変化は確かに自覚できるレベルで訪れてるんですが、これを「成長」と呼びたくない……という思いがあります。過去の否定を無条件に成長と呼ぶようになってしまったら、成長を止めているどころか、既にして死んだも同然だと思っています。感性の面では。
 
 いま大好きなものが、好きじゃなくなるかもしれない。嫌いなものが好きになるかもしれない。そういう変化が訪れた時、「昔の自分はどうやって作品に接していたんだろう」と思い返す為の手段として、Twitterを使っている部分というのがあります。だからこそ、僕は限りなく主観に寄った感想を残していきたい。