昨日の続き。
 年を取ることが嬉しい大人ってのは多分そんなに居ないんじゃないかと思います。だからきっと、「おめでとう」と声を掛ける時に、本当にめでたい、相手が喜ぶはずだ、と考えて言ってる人はあんまり居ないんじゃないかと思います。それでもなお誕生日おめでとうTLが成立するのは、やはり皆が等しく参加できる、相手の心中を忖度する必要すらなく慣習に従って行動できる―――そして何より、その結果として相手に親愛の情を示すことができるからなんじゃないでしょうか(推論の上に推論を積んで推論をデコレーションしてみた図)。……うん、「そういう人もいるかも」と付言すべきですね。これはひどい
 
 ともかく、ローリスクである種の交感が為せるような機会があれば、やってやろうという気になってしまう人種というのはたぶん居るんですよ。たとえば僕とか。