ジャンル論の類ってのは大抵、「○○(作品名)なんて××(ジャンル名)じゃない!」というdisを審議する時であったり、「××(ジャンル名)のものは全て素晴らしい」といったような安直な一般化をしてしまう輩を叩き伏せたりする時に問題となるものではないかなあ、といってしまうと明らかに過言なのですが、少なくとも、作品そのものじゃなくて界隈の性質と消費のされ方―――受容論としての側面を強く持つものなんじゃないかなあ、と思います。
 作品をどう捉えるかではなく、どう捉えている人がいるか、という側面のおはなし。だから、政治的な主張の裏付けとして/或いは受容のされ方を含めた歴史を構築する際に使うものであって、作品そのものを単独で語る人にとってはあんまり必要ないものじゃないかと思うんですよ。
 
 とはいえ、消費のされ方から規定されたはずのジャンルが消費者にダイレクトに影響を及ぼしてその消費行動を左右する……という再帰的な構造を有してることもあって、ぶっちゃけ上で書いたことも重要な要素を大きく無視した与太でしか無いのですが、何かの叩き台にでもなれば僥倖です。