自分の首に繋がれたその鎖の色を心底美しいと思える奴隷は、果たして不幸なのか。己を外から見た場合の価値を、その視線に含まれる侮蔑と哀れみの色を、知っていてなお隷属を肯定する奴隷は果たして救われるべき者なのか。
 畢竟、価値などというものは、どこまでも主観に根拠を置いた脆弱な概念でしかない。だからせめて、救済を行わんとする者は、被救済者の内心を状況から忖度し、これを以て理由に据えることを避けるべきではないか。「彼は、彼の思い込みと傲慢さとによって他者を救済せんとする」。それでいいじゃないか。それ以上の物語は必要ない。