2011-05-11 ■ 日記 結局のところ、対話に意味を求めるからこその断絶の実感なのではないか、などということを考えていた。そもそも対話には不可能性が付いて回るのだから、娯楽として優れておらず、また立ち回りの上でも必要性が薄いのであれば、別に無くてもいい/むしろ有ったら苦痛なんじゃないか、という。 目的であって手段じゃない、と思ってしまうからなのかなあ。ヒトとヒトはもっと離れてもいいと思うのだけど。その方がよりトクベツな気がするじゃないですか。