キリスト教は弱者に「虐げられる我々こそが本来正しい」という転倒した自負を与え、強者の望む搾取構造を磐石なものとして固定する機能を持たされたがゆえに否定されねばならない―――と、かの人は言っていた訳ですが(そして、真のキリスト者を称揚する旨も同時に)。それこそが奴隷の道徳であるのだと。
 それだけでも禍々しい構図であるというのに、弱者が他の弱者に「我々は虐げられていなければならない! なぜならば、正しいものは虐げられているべきだからだ!」と強要するに至っては、もはや笑い話としか思えない。