人間の行う一切の価値判断は例外なく信仰を含む。あらゆる価値は突き詰めれば信仰、或いは自己規定をその礎とせざるを得ないものなのであり、つまりそれは、ある対象の価値について云々する際、自らのよって立つ価値体系―――つまり、信仰を表明することが必然的に要請されることを意味する。
 といったようなことをいつも考えているのですが、そもそも論である上に、建設性の欠片もない視点ではありましょう。まあいいんですけど。
 とりあえず、客観的な議論を自負しながら宗教論争あるいは哲学バトル(コロコロコミック的な意味での)に終止する様は傍目に結構無惨ですし個人的にもあんまり好まないところではあるので、自戒しておきたいところです。