昨日に引き続き何もしておらず、書けるような事柄がない。外出した時には雑想が頭を支配してメモ行為の煩雑さにうんざりするくらいなのに、いざ家に引き篭っていると何も出てこない。暇を潰せるPCがなく、没頭できる書物もない環境だからこそ、思考に埋没できる―――というのは言えると思う。無駄なネットサーフィンがなけなしの知性を殲滅しているということだ。
 ……などと書いていたら何か降ってきた。考えながら記述してみる。
 「なぜ物語を書くのか。あなたのような素人より優れた作家は世に数えきれないほど居るというのに」という問いがある。僕は実際、この問いに懐疑的だ。胡散臭い理由を挙げてみると、一つには「優劣」なる概念が無造作に扱われていること、また一方では「劣った物語に価値はない」とでも言いたげな視線がほの視えることがある。前者について。物語はどこにあるのか。文字の羅列の中―――ではなく、僕たちの頭の中に、だ。神経細胞の発火こそが、物語を物語たらしめていると言える。解釈を経ずに物語を取り込むことは不可能だし、当然ながら「プリミティブな、誰にも読まれていない、素の」物語などというものを想像することは難しい。そんな存在をどうして一元論で語ってしまえるのか。畢竟、そこで語られる「物語」に同一性を認めてもよいのかどうか、僕は懐疑的なのだ。後者については詳しく書くのも煩わしいから簡潔にしておくが、要するに自我の薄さを他者にまで強要する豚は死ねという話である。……省略しすぎた感は否めないがまあいいか。そんなところだ。