ずっと資料作ってたので特に書き残すようなことが……。
 好きなゲームを起動して好きなシーンを何度も眺めるたび、物語は「ここ」にあるのだ、と思う。解釈という行為を通し、生成された何がしかだけが、言及に値するものだ(そして「それ」への言及は常に不正確である、とも)。