受動的に読める情報源への経路を断つたび、自分が如何に強迫的に暇を潰すような過ごし方をしてきたか思い知らされる。やらねばならないことは依然そこに有るのだが。
 最近、出力の際の手癖にかなり思考を規定されているな、と実感する。自然に出てきた何かを遡及的に自分が予め考えていたことなのだと断定し、そのようなことを考える者としての自分を見出す。そしてそこから、と無限に続く反射。指向性を持つ衝動こそが自己であり、などといった与太をブチ上げたくもなる。