スクールカーストという概念は邪悪なんだけど、あれが邪悪なのはスクールカーストという「本来なかったもの」をまるで実在するかのように思わせるがため……では当然なくて(あのような構図は当然存在する―――しない訳がない)、複雑で代替不能な個別のつらみ溢れる状況を一語のもとに全て同じ構図に押し込めてしまうがゆえ、であって。構図が先行することによって個々の想いは取り零される。本当は、それが一番大事なことだった筈なのに。
 個別例の個性、みたいな話は全くしてないですよ……とは一応書いておいた方がいいかも知らん。100件同じことが起こっていても、100件の絶望その全てに寄り添わなきゃ嘘だし、無理だとしても、という話。
  
 トレンディドラマの流行が「恋愛」をどう作り替えたか、みたいな話にも似てるかな。