はまち二話まで。
 俺修羅よりも若干きつい。というのは、例えば俺修羅の真涼さんは始まる前からリア充文脈に敗北している(制度に乗れないため価値観を転倒させている―――奴隷の道徳)ので無残さゆえに間違ったことを言ってもアッハイで流せるだけの痛々しさを誇っていたんだけど、俺ガイルのゆきのんは制度にうまく乗れない他者を強制的に敗北させる類のムーヴを取るため大変邪悪に映ってしまう辺りが原因で。努力すれば開く扉があること、の証明が正に人を殺すんだよっつーのは例えば某ヨットスクールとか。話が逸れた。
 たぶん態とやってんだろうなーとは思うので内在的に正当化の理由付けをしていくのか大規模なカタストロフが控えているのかなーとか想像するところですが個人的には後者がいいかなーって(邪悪)。