意思の疎通する空間はそれ単体で心地よい。が、当然のように総ての意図の通じる空間には、原理的に紛れというものがない。初期条件を与えると一意に収束してしまう。
 そこでわれわれは外圧を召喚したり総ての意図の通じない(反対側に振り切った)世界を想像したり、といったことをするのだ、と思っておくと色々なことに見通しが立ちやすい世界になりつつあるのかなと思う。