みんながふんどし履いてた時分には基本的にふんどしってえろくなかったわけよね、みたいな話を考えるとえろさと規範(とりわけ禁止)とは密接に繋がっているらしいことが推定できて、だから「エロいことが常識の世界を描くSF的なエロ」ってのはそのえろさの根拠を内在的に示せないので不思議だよなあ、といったようなことを考えていた。無論/言うまでもなく、常識改変や異世界召喚のようにわれわれの世界観を異物として持ち込むようなものは除いて考えた時の話ではあるが。
 出会い頭に人間が挨拶の気軽さで肉交するような世界に興奮する、というのは非常に不思議なことのように思える。なんとなれば、人はえっちな事柄にではなく、えっちな事柄に興奮する人の姿/視線にこそ興奮するものなのだから。でしょう?