初期俺妹には舵取りのうまさがあって、それほど高スペックでない兄が超廃スペックな代わりにオタ趣味という致命的な弱点を抱えた妹の相談に応えるという基本的な構造に基づく展開に際し、妹が疎外されないように気を払っている。たとえば桐乃の相談を黒猫やあやせやバジーナとのルートに進むための単なる前振りとして扱い、そこから桐乃をフェードアウトさせたり或いはヒロインの一人として扱ったりすることが可能不可能でいえば可能だったように思うのだが、そうはせず、飽くまでも京介が外部と触れ合う時にはそこに桐乃を介在させ続けている。それは桐乃という存在の鬱陶しさを相当の程度強調する事態を不可避に引き寄せてしまったとはいえ、歳近い男と女がいれば即座に恋愛に回収されるような創作上のコードが持つ力学に対しての抵抗をある程度は成功させる試みだったように思う。まあ途中でそういう線は全部捨てられたっぽいんだけども。
 で、うまるちゃん観ててなんか俺妹思い出してしまったので適当書いてみた訳なんだけど、上述するような観点からは海老名ちゃんの導入ってかなり危うい気がしていて、既に構造上はうまるちゃんの存在意義があまりないように思う訳だ。肉親であるから、という特権性の条件がそのまま恋愛レースというルールの上ではマイナス方向に働いてしまうことまで含めて俺妹が結局は受け容れてしまった類の妥結案を初手から飲んでしまっているように見えて、俺妹に何かとても新しい地平を見せてもらえるんじゃないかとか勝手に期待してた人間としては在りし日の怨嗟が胃のあたりから食道を上ってくることを止められず、こうして書いてみたのだけれど、まあ特に読むべきことはない文章になってしまった。おわり。