映像記憶や画像記憶と呼ばれる能力の凄さって正にそこで、記憶が精緻であるというよりは記憶の形式そのものが違うところにあるのだと思う(前回記述の枝葉)。過去が常に現前しうる者の世界はきっと常人のものとは全く違うものになるはずであって、だからそれは記憶力の強弱という評価軸の最果てではなく、そのような評価が不可能な場所に位置している。