口喧嘩をすること、或いは一方的に悪しざまに言及すること、が悪感情に区切りを付けるための儀式と化している人/場所というのは多分実在していて、っつーかTwitterとか正にそんな感じなんだが、極度に虚無と化した議論の残骸は相互に何のダメージも与えることなく、客観的にみれば過激な言葉を取り交わすことを可能にする、ということがたぶん起きていて、ある種の地獄はそこから生まれている。ような気がする。
 空腹でなくとも夕食を摂らねば気持ちが悪いと感じてしまうように、悪感情が解消されることなどないと知っていても悪感情を振りかざしてしまう。そういう自動性が、ある。