ヒウィッヒヒに書いたものを適当に再利用しつつ書くと、やっぱり「AIが苦手な意味の解釈という分野ですら国語のテストで負けてしまう子供たち」という理解には違和感がある。たとえば問題文に答えが書いてあるような簡単な設問に対して「これマジで答えなのかな……そんなのテストに出すかな……」と警戒して妙なことを書いてしまう子供を僕は家庭教師をしていた頃に複数人教えたことがあって、彼らは設問に含まれた情報を汲み取れないがゆえではなく、むしろ不必要な意味を盤外に見出したがために間違ってしまう。これは極端な例だが、テストというものを純粋な理解力を測るための装置である、と見做したうえで能力の優劣を俎上に載せるのは、この場合いささか勇み足なのでは、とは感じる。設問を単純な情報の集積と見做し、回答者をその情報を処理するための装置と見做すのであれば、そりゃあAIに有利な話だ。
 人間の認識が高度であるがゆえに生じる陥穽であって、そこに嵌まらないということはAIの優越を即座に意味するものではない、と思うんだけどどうなんだろう。むしろAIが獲得したがってるのってそこなんじゃねと素人なので適当に思ってしまうが……。