何かを為す時、問われるのは吟味すべき事柄を片端から俎上に追加する能力ではなく、むしろ重要度の低い事柄を省く―――それも、リソースを極力割かずに―――能力である、ということがよくある。ありったけの準備を行うことが問題解決を遠ざけることは、不自然なことではない。それは多数の事柄を処理するために必要な実時間が単純に増加するためであったり、事柄同士が干渉して複雑さを増すためであったりする。必要かもしれない道具を積み上げていくだけでは、人間も簡単にフレーム問題に陥る。
 熟練者のシンプルな思考は、それが適用されるべき局面を限定するがゆえに無駄がなく、速い。膨大な情報に対して、単純化した問題を抽出し、そこに向き合うことができるからこそ、彼らは強い。そのようにして得られた問題意識と解法とのセットを授けられた初学者も、練習段階ではその速度の模倣が可能かもしれない。しかし、活用すべき問題の設定を適切に行えない限り、結局は機能不全に陥る。単純化された問題への対処法ではなく、何が問われていて、どのように単純な問題に落とし込めるのか、という思考そのものを伝達する方法について考えねばならない。