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タイトルまんま(先鋭化というよりは単純化の方が適切かなあ、とも思いつつ)。
何気ないメモがふぁぼられると勝手にプレッシャーを感じて何か書くクラスタの人間ですこんばんは。
http://twitter.com/guinea_piglet/status/17798640993
家計の二次SSってそれなりに数はあるっぽいのだけど、どうも原作のギャグシーンの空気を更にデフォルメしたギャグSSが目に付くような。
書きやすいのは解るんだけど。とか書いてて、これって歌月以降の月姫SSにも言えるような気がしなくもないなーなどと
はい、以前の自分のpostですね。ここら辺から始まった意識なので、引用してみます。
家計の味の一つに、各キャラが「こんな共同体には無理がある」と自覚しながら、それでも日常でギャグを演じるところがあると思うんですよ。
司や青葉様や準のように冷めていたキャラはもちろん、あの共同体を好ましく考え、またそのように振る舞ってきた春花や真純さんでさえ、破綻の可能性は意識していた。
折衝を避けようと思うなら、とにかく事務的に努めて振舞うべきだったはずです。当初の話、金銭と引き換えに家族形態のカモフラージュを提供するという契約そのままに。
それでも、高屋敷家の人たちはそうしなかった。
“それは配役だった。
人が人らしくあるために。
空約束だ。意味はない。たぶん。
だが、そんな気休めでさえ、人らしいと忍は思っている。”
敢えて何かを演じるということ、仮面を被るということ。
あの擬似家族を維持するためのお芝居だったかも知れないけど、確かにそこには『家族』があった。
各自が自分勝手な思惑を秘めつつも、ギャグという他者がいなければ成立しない振る舞いまで行って。
……と思うので、SSにおけるギャグ要素の肥大化/戯画化には割と大きめの忌避感を抱いてしまうのです(後半で引用してる歌月に関しては原作からして、って部分もあるのでちょっと的外れですね)。
C†Cで言えば、太一の躁状態から衝動を抜いたハイテンションキャラにしてしまう作品。家計でいえば、我侭な高屋敷家の面々に司が振り回されるだけの話。
そういったものは確かに書きやすいですし、二次SSを書くにあたって、というより二次創作全般をするにあたって、「どの要素を取り上げるか」っていう取捨選択の過程ってのは必ず経過するものだと思うのですが、しかしそれを捨てるなんてとんでもないと僕は思うのです。
書きやすさとバーターに、作品の大きな持ち味を殺してはいないかな、というお話でした。
(自覚的にやってる/それを私は魅力と認識しない という反論一発で崩れ去る拙い論ではあるのですが、何かの叩き台にでもなれば)