客観的に有益な情報や知見を発信できているような感触は全然なく、実際にそういう価値の宿ったpostは出来ていないんじゃないかなあと自分でも感じます。ですが、あるpostに対して意味や価値を見出すのは受け手の側ですべきことであり、書き手側が忖度して受け手の価値基準に合わせる必要は必ずしもないのでは、と考えてますので、現状あまり悩むことも無く自分勝手に書いてる訳です(ところで、受け手の存在を意識するかってのは、最近TLにRTされてきた「プロの文章は書き手を想定している」って主張とも関わってくる要素かなあとも。僕は個人的に、そうしたければすれば良い、程度に考えてますけれど)。格好いいこと言っておいて何ですが、そもそもそういうのって物凄く高度な文章の書き方と思いますし、僕にはたぶん出来ないだろうなーという見切りの要素もあったりして。だからこそ件の人もプロの技と見做してたのかもしれないですよね(そう書くことでなく、そう書けてることがプロの証……という主張かも知れないよね。或いは元々そうだったかも)。
 
 ここら辺の感覚、さいきん連投した「『常識』ってものの存在を前提としたコミュニケーションがあまり好きではない」という感覚にたぶん繋がってくると思うんですが、まあそれに関しては追々。