あらゆる生きにくさは僕の資質によるものであって、「リア充」なんていう訳のわからない存在ごときのために引き起こされた物ではないのだ、と思うことにしている。偶然性やら何やらを恣意的に無視した不誠実な言説ではあるが、しかしこう考えることによって精神の均衡が保たれる局面というのが往々にして存在するのだ。こういったプラグマティックな個人的信仰というのは多分に歪んでいるもので、しかもその歪み方は持ち主のパーソナリティを強く反映しているのではと思う。ので、こういった客観性のカケラもない信念をみんなが曝け出すようになれば僕は非常に嬉しいんだけど、しかし現実には論争の火種を増やすことにしかならないのだろうな、とも思う。
 
 「ネット上での言説は即時の反論を想定するから予防線によって冗長かつ散漫になる」といった言説を目にして思ったこと。養老孟司だったかな。