キャラクタの心情を全て記述しようという努力を放棄し、またキャラクタ同士の対話不可能性を強調することにより、作品世界―読者間の断絶と登場人物―登場人物間の断絶を強化することができるのではないか……とか。スタンドアローンで完璧に機能する人格が演じる舞台を、「理解できている」という錯覚の介在する余地すらないほどに突き放された位置からただ眺める……というのも乙なものではないかと思うんですよ。触れなければ汚れることもないのですから。