「女の子になって女の子とイチャイチャしたい」という記述を細かく腑分けするということ。
 たとえばそれは男性としての自意識を保持したまま合法的に女の子と触れあえる環境が欲しいという欲望かもしれないし、たとえばそれは女の子同士の交感を自らの手で為したいという願望かもしれない。後者の場合については自己の同一性が保たれているかどうか非常に怪しいものではあるけれど、仮に僕じゃない僕が永遠を感じさせるような情景に溶け込めるというのであれば、それはそれで肯定したくなる話ではあるかもしれない。こういった同一性ないし連続性の概念に気をつけながら列挙すると、祈りの内訳を更に細かく分類することがたぶん可能で、たとえばらんまのように肉体の性別だけスイッチするだとか、たとえばパラレルな世界線に飛んだかのごとく自分の性別だけが遡及的に書き換えられた状況に移動するだとか、色々な場合が考えられる。百合妄想は幅広い。要素の組み換えによって、考えられるパターンは加速度的にその数を増やしていく。
 このような、細かな差異を明らかにしていくということ、また並行して記述の不可能性、欲求とメタな自己認識との乖離にも意識を払うということ。そういった営為によってわかるものがあるはず―――なのかは正直まったく判らない。啓蒙をしよう、だなんて大それたことを考えて書いた雑記でもないのだし。ただ、そうやって個々人が己を腑分けしていく様を眺めるのは、きっと僕にとって楽しいことなのだろうという予感がある。
 腹を割って語りましょうよ。